里子の成長記の最近のブログ記事

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半年ぶりの里子のBOIとの面会。

BOIは雨の中バイクを飛ばし、面会場所にもなっているドゥアン・プラティープ財団へやってきた。

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バンコク市内クロントゥーイスラム地区にあるプラティープ財団

里子と里親の面会はいつも財団の応接室で行われる。

「今日、BOI君は軍事訓練があって訓練後そのままこちらに来る予定なのだけど、ちょっと遅くなるかも・・・。朝彼がここに立ち寄ってくれたのだんだけど、軍事訓練服を着ててなかなかカッコ良かったわよ~」と財団の先生より伺う。

 お正月明けに会った時に比べ半年でまた1段と「大人~」の顔になっていたBOI君。確かに軍事練習服姿の彼もなかなかカッコイイ♪

BOIと初めて会ったのが彼が11歳(小学校5年生)の時。

ただいま18歳、職業専門学校の3年生、ホテルマンを目指し頑張っている。

お正月明けに会った時は「学校が終わったらカルフールのケンタでアルバイト!」の日々を送る彼でしたが、現在は学校の授業もかなりハードになり、病気の母親の看病もあってケンタのはアルバイトをするのが困難になった為、土・日の夕方~22時まで「バイク便のアルバイト」に変えたとの事。(すざまじい渋滞と交通ルールなんてあるの?と言うバンコクの道路事情なので「夜のバイク便アルバイト」と聞くとちょっと心配。とにかく無事故を祈るのみ。)

何で軍事練習服姿?」なのかと言うと、タイは徴兵制度があるのです。

でもでも「軍事訓練の受講」or「くじ引き」で免除に。

BOIは「軍事訓練受講」 を選択しており、 この日は、午前中は職業専門学校で授業を受け、お昼過ぎから軍事訓練学校で軍事訓練受けてから財団に。

軍事訓練受講→16歳~18歳の三年間、学校に通いながら週1回お昼過ぎから17時まで軍事学校で「ロードー」と呼ばれる学習プログラムを受ける。

くじ引き→様々な事情で高校に行けなかった男子が20歳で召集を受け「くじ」を引き、「徴兵決定」「徴兵免除」が決まる。確率は半々らしい・・・。

軍事訓練の事も聞いてみたのだが、ひたすら体力作り!で銃は撃った事はないとの事。「BOIは彼女いるの?」との質問には、とたんに顔を真っ赤にして「いないいないいない!」だった(笑)。

 

一通り彼の近況他を聞き、成績表をもらって、最後はBOIと恒例の2ショット写真撮影♪。

早速BOIと画像確認!

いやーっ!最悪・・・。

彼の横にいるのは「おばさん!」

私、かなりショック!!!(写真は本当に正直だ・・・、トホホ・・・。)

「うわ~っ、ふけたよ~~~、やっぱりおばさんだ~~~」と叫ぶ私を見てフフフッと笑うBOI君。

財団のスタッフの先生から「kaoさん、BOI君のお母さん今35歳ですよ~(笑)」と。

「そうだった!!BOIのお母さんは私よりずっと年下だったんだ~~~!!!」

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面会終了、気が付けば18時すぎ。

ただでさえ夕方のこの時間帯になるとタウシーがつかまらないクロントゥーイスラム街。

スコールが上がったばかりと言う事もあり、いつも以上にタクシーの姿は無い。

財団の里親担当部長さん自らタクシーを探しにあちこち廻って下さったのだがつかまらず、勤務時間はとっくに過ぎてしまったにも関わらずタクシーが拾えるであろう 大通りまで母と私を送ってくださった。

時折ポチッ、ポチッとまだ落ちてくる雨のスラム街を、 「彼の目にはいったい私はどう映っているのだろう・・・」と先ほどの2ショット写真のショックをズリズリと引きずりながら大通りへ向かい歩く私でした。

 

 

 

s-2009.02.12_boy 004.jpg   里子のBOY(タイのあだ名)とこの度も面会してきました。

BOYは母一人子一人の生活です。

BOYのお母さん(私より絶対若い!)は喘息を患っており、もともとあまり働く事ができません。昨年は喘息を患っている上に原因不明の病にかかり倒れて入院。 退院後も一人で寝起きも出来ない状態でBOYがずっと看病を続けておりました。

学校と母親の看病との両立が厳しい状況でありながら何とかプラティープ財団の方々や周りの方々に助けられ何とか学校に通い続けています。その後、母親 の病状は少しづつですが良くはなってきているようで一人で寝起きは出来るようになったとの事でしたが、まだ一人で動き周る事は出来ない状態でまだまだ時間はかかりそう・・・。

現在平日のBOYの生活は学校から帰ると母親の食事の世話他を済ませ、毎日夕方6時~10時までケンタッキーでアルバイト。日曜日も母親の看病とアルバイトで終わってしまう生活。 宿題はもっぱらお休み時間に学校で済ませてくるとの事。頑張っています。

この度は母が里親になっている女の子の一人(中学校1年生)が行方不明で連絡が取れなくなりました。

今回の面会の日程を調整する為財団のスタッフの方が彼女の家に連絡をした所、始めて学校にも行っておらず家にも居ない事が判明。かなり年の上の付き合っている男性と一緒に家を出てしまったとの事。とても複雑な彼女の家庭環境を考えると・・・なのですが、まだ15歳。

財団のスタッフが必死に行方を探してくれてはいますが、やはり心配です。

s-2009.02._スラム 001.jpg 様々な複雑な家庭環境の中で生活をしているスラムの子供達。 日本で生活していると本や映像の中出来事のような世界がここに来ると現実。

それでもスラムの子供達の中にはまだまだキラキラした澄んだ目で無邪気に笑って走り回っている子供らしい子供も多くおり、そんな子供達を見かけると少し心が軽くなります。

(写真)クロントゥーイのスラム地区メイン通り 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ボーイ.jpg半年ぶりに里子の「ボーイ」とプラティープ財団の事務所で会ってきました。
学校が終了後、直接財団の事務所にボーイがやってきます。

年の初めに会った時より体格が一回りガッシリしていてビックリ!
小さい頃からボーイはとてもシャイなのですが
小学生までは会うとまず「元気~?」と言ってハグできたのですが、
中学生になってからは私の方も何だか恥ずかしくて握手しかできません。

中学3年生なので今後の進路について聞いてみましたが、
このまま今の中学から高校に上がるか、受験して別の学校にするのか...
まだはっきり決まってないとの事。
毎週土曜日の補講授業は真面目に通ってるそう。
現在通っている中学は地区の中では進学校なので、
そこそこ成績も良いのでこのままこの高校に...と私は思ってしまうのですが、
授業料は私が援助する事になっているもののそれだけではね...。
掛かるお金は沢山ありますよね。
ボーイの家から今の中学校まではけっこう遠い事もあり通学費用の問題や
母親の身体の具合が相変らず悪く定職につけない状態と言う事やいろいろ。
このまま同じ高校は難しいかな...。
後はボーイとボーイのお母さんが決める事なので
私はとにかく「彼にとって1番良い結果になりますように...」と願う事しかできません。


*ドゥアンプラティープ財団→http://jp.dpf.or.th/origins

里子のBOYはただ今中学3年生。
今日、3年への進級がかかっていた2005年度の成績表が
プラティープ財団より届きました。

成績表は5段階評価(秀、優、良、可、不可)となっており、
科目はタイ語、数学、社会、理科、英語、体育、職業訓練の7教科です。

前年度の成績は平均すると中の上の成績でした。
この度は、成績が上がり(秀)となった科目もあったのですが、
数学とタイ語が下がってしまい...。
しかも「タイ語」がぎりぎりのところまで下がってしまっておりました。
なかなか勉強できる環境ではないというBOYの事情は解っているのですが
中学3年、受験生ですから...。
「お~い、大丈夫かい?」ととても心配になりました。

先日、補修授業の援助金についてのメールを財団からいただいて
私、すぐに補修授業内容の問い合わせのメールを財団に送りました。
英、数、国(タイ語)だと言うお返事をいただきました。
今日成績表を手にし、実際成績を見まして改めて
「こりゃ~、やはり補修授業を受けなきゃダメでしょう」と思いました。

本人自ら「補習授業を受けたい!」という希望ですでに通っているとの事ですから
やる気はあるんだな!とちょっとホッとはするのですが、
勉強する環境が整わず大変であっても、なんとか頑張って上にすすんでいかない
ない限り、一生「スラム」地区から出られず、後々の生活も向上する事は難しくなります。
学校から買えると生活費を稼ぐ為のバイト、体の弱い母親をかかえ(父親は居ない)大変な事と思いますが、頑張ってほしいものです。

今度タイに行ってBOYと面会する時は、
真面目に今後の進路相談をしてこなくてはならないなぁ~と思いました。
何か興味のある物事があるならば「手に職」って道もあり!?

タイの学校も新学期がそろそろ始まって・・・という頃なのに、
今年はソンクラーン(タイの旧正月)を過ぎてから一段と暑くなってきている
との事。(新学期早々、暑くて勉強にならないだろうなぁ~)
里親の所には「今年度の学費を収めてくださ~い!」と言うお便りが届く時期でもあります。
そんなお知らせと共に(またまた里親バカになってしまいますが・・・)
私の里子のボーイ(タイのあだ名)、
4月29日のタイのプラティープ財団での奨学金授与式の席で
「家族孝行な学生として表彰された!」とのご連絡をいただきました。
(1月13日に首相官邸での「2006年度の内閣総理大臣賞受賞」に続く嬉しいお知らせです!)

ボーイのお家は母子家庭。
ボーイの母親は重い喘息にかかっており、なかなか思うように働く事ができないのです。
ボーイは学校がお休みの間またまた出家をし、小坊主さんになっていたそうで、
今まだ髪も伸びず、精悍な顔をして入るとの事。
(*タイでは男の子が出家をすると母親が救われるとも言われています。)
俗世に戻ると変わらず続けているお菓子とパン売り。
(*生活費を助けるため、毎日学校が終わるとお菓子とパンを売っている。)

ボーイ、おめでとう!
相変わらず頑張ってるね!
また背が伸びて大きくなってるんだろうなぁ~。

 

私の里子のBOYが先日2日程出家しました。
おじい様が亡くなったためです。
タイでは男の子が出家すると無くなった人の魂が救われると
信じられているからとの事。
又、男の子が出家をすると母親が救われるとも・・・。

彼は生活費を助けるため、今日も学校から帰るとお菓子売りのバイトをしています。帰ると夜9時位になるそう・・・。
お菓子が1つ売れても15バーツ位。はたして彼に幾ら入るのか・・・。
そんな中で、水泳教室終了後もやはり通い続たい!と
今回は自分で年間費200バーツ(日本円で¥600位)を支払ったとの事。
私も負けずに頑張らなくては!

「ボーイ」=私の里子の男の子のあだ名。

この度「ボーイ」が2006年度の内閣総理大臣賞を受賞し、1月13日に首相官邸での表彰されました!!!

タイの「こどもの日」は1月の第2土曜日。

この「こどもの日」に因んで、日頃「劣悪な地域に住んでいても勉学に勤しみ、危ない道に外れることなく頑張っている」子供に送らる賞を彼が受賞したのです。

タイ全国76県から392人選ばれた中の一人でした。

「ボーイ」は二人目の里子で、現在中学2年生(彼が小学5年生の時に里親になりました)。

最初の里子は里親としての援助の途中に家庭の事情でお寺に出家してしまう事となり、財団からの「お知らせの手紙がどう言うわけか私の手元には届いていまかった為、何も知らないままタイへ出発し財団へ里子と面会するために向かったのです。

何も知らず最後の別れもできないまま里親としての役割が突然なくなってしまいました。

そんな事があったので、2人目のボーイは「絶対最後(大学卒業まで)まで続きますように...」と思いがより強くなった為、この度の受賞は「とにかく嬉しくてみんなに自慢したい!」と言う里親バカ気分なんです。

私の里子のBOY(里子のあだ名)に会うと必ず聞く事の1つに、「今、1番何が必要?」と言う事がある。私の出来る範囲内での事であれば、1つずつだけど何とかしてあげたいと思う。しかし、範囲内といっても何でもOKとはいかず、なかなか難しいのです。BOYもあまり自分から「**が欲しい!」とは言わなかったし、言っても今まではサッカーが好きだからサッカーボールが欲しい!位で問題なかった。BOIが中学生になった時、「学校まで通う交通費がかかるので、自転車で通学したいので自転車が欲しい!」とリクエストがあった。最初は「自転車通学健康にも良いし、渋滞が半端でないバンコク、自転車OKOK!」と思って入学祝は自転車にしようと思った。しかし、この希望は聞けなかった。BOYの希望を初めて「ダメ!」と言ったのがこの件が初めてだった。この「自転車」が改めて里親と言う立場を考える事となった。タイの交通事情は最悪で事故が多く車道を走るなんて恐ろしく子供だから絶対自転車に乗りなれると周りを見ないで飛ばして走る危険も考えられる。歩道も日本のように整備せれておらずマウンテンバイクでもちょっとね・・・と思う。生活費を稼ぐために学校から帰って、お菓子売りのバイトをしているBOYも知っているので交通費の負担は大きいと解っていた。しかし、自転車を買ってあげる事は無責任な事になってしまうのでは...と思った。万が一事故にでも遭ったら、私がすぐに駆ける事が出来ない。BOYの看病をする事も出来ない。
最悪、もし事故で亡くなったりでもしたら、あの自転車さえなければとと絶対私も一生後悔する。それよりも1番BOYの家族に悲しい思いをさせてしまう。様々な思いが頭をグルグルして悩んだ。自転車はこの思いを伝えあきらめてもらった。

里親=基本は学費の援助、他は個々の自由。
里親になって学費を援助している事は一見聞こえは良いが、違う目で見れば、自己満足の世界、無責任と言われても仕方ない。「今、1番何が必要?」と言う事って罪かもしれない。普段側にいてBOYの事を見てあげれないのなら、学費のみが1番よいのかもしれない。などなど...、改めて「里親」と言う立場を考えた。

ただ単に必要、欲しい物と言うより、BOYの人生にプラスになる事、物を良く考えに援助しよう!と改めて考え、いろいろ思う事はあるけれど、自転車の代わりは、「水泳を習いたい!」と言う希望があったので水泳教室に通う援助をする事にした。水泳なら健康に良いし、泳げないより泳げた方が絶対良い!水泳教室に通うとなると、水着、ゴーグル、キャップを用意。里親心も出てしまい、ついつい他もちょこちょこ用意してしまった。(これまた自己満足の世界かもしれないけど...)
スポーツが大好きなBOY。楽しく頑張って全てのコースを終了し、終了試験も合格して卒業証書をもらった。卒業証書をを手にした日は「嬉しくてプラティープ財団のスタッフの所に証書を持って報告に来た!」とメールがあったので私もとても嬉しかった!水泳が終了し、夏に会った時は、「PCが欲しい!」と言う希望があった。現在中学2年の彼、授業でPCを使う事が多くなり、PCがなくては出来ない宿題も出るとの事。もちろんスラムに住む彼の家にPCは無い。ではでは、勉強に支障があるならPCか...と思い、プラティープ財団のスタッフの方とも相談してみた所、
中古もけっこう手軽な値段ででてるから探しておいてくれるとの事でお願いして日本に帰った。先日財団のスタッフの方から連絡があった。「PCはあっても自宅の電気の工事からしないとPCが設置できない」との事。電化製品がなんでも使える環境が当たり前のようになってしまっていた私は自分のアホさ加減と、今の私はそこまで援助する事が出来ない事ですご~く落ち込んだ。今、BOYはPCを使う勉強、宿題をするために1時間**バーツと言うような所に行っている。そして、最近は学校が終わるとBOYの叔母の作るパンを売って生活費他を稼いでいる。

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私がタイのドゥアンプラティープ財団を通してタイのスラム地区に住む子供の学費の援助をする里親になって数年経ちます。

2005年の5月に2人目の里子のボーイ(タイのあだ名)と面会しました。

この日ボーイは修行僧姿でした。(学校がお休みの期間での「お坊さん修行中」との事)

仏教国タイ。タイは男子は1生のうちに必ず1度は出家しなくてはならなのです。

女性はお坊さんに話かけても近ずいてもいけない(ましてや触れるのは絶対タブー)ので、 彼との会話は一緒に来ていた彼のお母さんが彼に代わって「彼はおそらくこう言ってる(思ってる)」と答える。
そんなんで、今回彼とはまったく直接会話ができなかった。

お土産を持って行ったのだけれど、直接手渡すこともNGなので、 代わりにタイの袈裟の(肩からかかってる長い帯)の上に置いて渡すと言う初めての経験をしました。

 中学2年の彼には、修行の身であるから食事は朝と昼の2回だけ。

育ち盛りの彼にはキツイだろうなぁ・・・と思い「1日2回の食事じゃお腹がすくよね」って言ってみたら、彼がニヤッと笑った!

会話が出来ない中、何だかちょっと嬉しかった。

*ドゥアンプラティープ財団→http://jp.dpf.or.th/origins

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